【案内人ブログ№94】(2025年6月)終戦80年 企画展「時代を見つめる」に関して想うこと   記:森敏雄

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現在、三浦綾子記念文学館では標記の展示が行われている。私は病気療養中のため、この企画に直接タッチできなかったが、日本の産業革命期に重要な役割を果たした「海底炭鉱」について私なりに想うところを述べてみたい。

昨年12月2日民放テレビで「世界遺産軍艦島」という番組があった。長崎県の端島。その島はまるで軍艦のような姿形で、地元民から軍艦島と呼ばれた。この炭鉱は1890年開坑で、最盛時坑夫及び家族含めて5,300人が住んでいたという。人口密度世界一であった。ここは海底炭鉱で、操業85年の歴史を重ね1975年に閉山した。歳月人を待たず、である。端島は閉山後無人島となり、早くも50年の歳月が経過した。なお、端島(軍艦島)は2015年7月に「世界遺産」に認定されている。

続いて、本年2月8日民放テレビ「報道特集」では、1942年2月山口県長生炭鉱の落盤による水没事故が取り上げられた。この事故で183人が生き埋めとなった。救出困難で助け出すことができず、遺骨は今も海底に眠っている。山口県の市民団体「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」は数年前から、彼らの遺骨を故国に返還しようと積極的な運動を展開している。今春には韓国からプロのダイバーが捜索に加わることになっている由。そもそも海底炭鉱は水もれや坑道崩落などの危険性が高く、現在国内に海底炭鉱は存在しない。なお、「水非常」とは炭鉱用語で水没事故をさす。山口県宇部市の歴史から抹殺されようとしたこの事故に対し、歴史に刻もうと立ち上がった市民団体の取り組みに共感し、敬意を表するものである。

さて、「2025年」という年だが、今年は日韓友好60周年という大きな節目に当たる。前記2件のニュースなどを経て、私は過日北海道新聞「読者の声」係に、次のような投稿文を認めた。

        日韓友好60周年で償いを

先般民放テレビで、終戦3年前、山口県長生炭鉱で水没事故があり、183人(朝鮮人136人、日本人47人)が生き埋めとなり、未だ海底の坑道に放置されているとの報道があった。

被害者の遺骨を探し出し、韓国・北朝鮮や日本の遺族に返還すべく、民間団体が積極的に動いているが、日本政府は消極的姿勢の由。この春には韓国からプロのダイバーが来日し、日本と共同で遺骨探しに連携する。

2025年、今年は日韓友好60周年の年である。40周年の際には、東京の劇団「青年劇場」が、ソウルほか13都市で、延べ40日間にわたり、三浦綾子原作「銃口」舞台公演が実施され、好評を博した。この度の遺骨返還は、日韓友好60周年にふさわしいイベントだと思う。

かつて日本に強制連行され、意にそまぬ海底炭鉱に放り込まれ、劣悪な環境下で酷使され、あげくの果ては天井崩落で溺死。これほど悲惨なことはない。彼らは死の直前、何を思ったのだろうか。過ちは改むるに憚ること勿れだ。

この投稿は採用されることがなかった。

その後において、4月7日には参議院決算委員会において、社民党O議員がこの問題を取り上げ、首相答弁で政府見解を一歩前進させた。戦後80年、日本政府は遺骨収集にかなりの力を注いでいる。国(国民)のため、命を賭して戦った人々の生きた証し、「遺骨」をあだやおろそかに扱ってはならぬ。当然であろう。遺骨の収拾は、現代を生きる我々の責務ではないだろうか。

先日、林えいだい著「死者への手紙」を読了した。この本は長崎県の崎戸・端島・高島の海底炭鉱が舞台であった。朝鮮人労働者の強制連行のはじまりは、1938年(昭和13年)「国家総動員法」に基づく、「昭和14年度労務動員実施計画綱領」の閣議決定にあった。1939年9月朝鮮で募集が開始され、自由募集とはいうものの、権力が介入しており、実質的には強制であった。朝鮮民族の悲劇・不本意なやりきれない悔しさに思いを新たにした次第であった。

最後に、これらに関連する関係者(遺族を含む)や市民団体などの具体的な動きだが、私が知り得た3つの団体について触れておきたい。

□(山口)長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会~長生炭鉱犠牲者の真相究明や遺骨の母国返還などに市民 を巻き込んだ一大運動を展開している。

□長崎在日朝鮮人の人権を守る会~朝鮮人被爆者の実態調査や強制連行された朝鮮人の証言集めなどを 意欲的に行っている。

□端島韓国人犠牲者遺族会~日本政府への謝罪要求を初め、端島炭鉱犠牲者の真相究明や遺骨の母国返還、三菱マテリアル株式会社(旧三菱鉱業)への責任追及などを行っている。

戦時中、朝鮮半島から日本に強制連行された朝鮮人は、150万ともそれ以上ともいわれている。朝鮮人労働者問題は、企業にとって触れてほしくない暗黒の歴史だろう。が、いくら隠し通そうとしても、事実は必ず暴露される。過去の過ちを認め、資料を全面公開するべきだと思う。終戦80年、『時代(足元の歴史)』にしっかりと目を向けたいものである。

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