【案内人ブログ№95】(2025年8月)三浦綾子の願う平和    記:三浦隆一

案内人ブログ

今日、士別へ行って三浦綾子記念文学館の難波事務局長の講演を聞き、この原稿を書いている。同じ案内人である村椿洋子さんとの約束を果たすためである。今回の講演の主旨は、戦後80年士別市平和推進事業特別講演である。結論から言うなら、その主旨にふさわしい力のこもった好演であったと思う。戦争の根っこにあるものとは何だろうか。根っこにあるのは人の人に対する差別である。本当に人を最も大切にすることこそ、物事の出発点でなければならない。この主張を立証する事例を私たちはイスラエル・ガザで見聞きしている。イスラエル人歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏の言う通り、争いは人々の心の中に異なった幻想があるために生じる。双方が「神はこの地を私たちだけに与えた」「他者にはここにいる権利がない」という宗教的幻想を抱いている。ここにあるのは綾子さんの言う通り、人の人に対する差別である。この地には二つの民族が暮らしているという現実を双方が認めなければならない。残念ながら、多くの人々は現実の半分しか見ていない。ハラリ氏は言う。「人々が現実の複雑さを心で認識できるようになる日が来ることを願う。」何故ならば多くの戦争は「私たちだけが正しい」と思いこむことから生じるのだから。難波事務局長は特別講演の中で綾子さんの『国を愛する心』「剣によって滅ぶ」より次の部分を引用している。「戦争中、私は人間ではなかった。人でなしであった。なぜなら私は軍国主義に染まった教師であったからである。私は生徒に国のために戦うことを人間のなすべきこととして教えた。今、核兵器の完全禁止を人々は叫んでいる。私も叫んでいる。だが私はちょっと立ち止まる。核戦争反対だけを叫んでいるような危惧を感ずるからだ。過去において日本は誤った戦争を起こした。いや、戦争に誤りも正義もない。戦争はすべて全面的に誤りである。軍国主義教師であった私は、そのことを痛感している。」三浦綾子さんは自伝小説『石ころのうた』でこう書く。「わずか16や17の少女に生徒を教える力も資格もあるわけがなかった」と書いた。終戦後に生徒に教科書の墨塗りを指示した時、綾子さんは涙が出て止まらなくなるのである。「生徒の前に大きな顔をして、教師として立っていることが苦痛になった。まだ若く、ひたむきに軍国主義を実践したからこそ、そのショックは大きかったと言えるだろう。ところが難波事務局長は次のように言う。多くの管理職の教師たちはケロっとしている。国が新しい方針を打ち出したなら、それに従えばいい。何故そうできるのか?自分の全存在を賭けて生徒に教えていない教師は「他人事」として捉えていたのだろう。

戦後の日本は「戦争に敗けたのだからアメリカの言う事に従っていればそれで良いのだ」との考えが全てを覆った。それは、それ以外には考えられないというような現実的な方針だったのではないか。しかしその事の帰結を私たちは目にしている。今年2025年7月28日付の北海道新聞の報道によれば、自衛隊と米軍が昨年実施した「台湾有事想定の最高レベルの机上演習で、中国が核兵器の使用を示唆する発言をしたとの設定に、自衛隊が米軍に「核の脅し」で対抗するよう再三求めていたことがわかったのである。このことが意味するのは何か。唯一の戦争被爆国として核廃絶を訴える日本が有事には核による威嚇もいとわず、米中の緊張激化を助長させる恐れがあることが明らかになったのである。綾子さんの「剣によって滅ぶ」が的外れではなかったのが明白ではないか。現実はかくも厳しいことを私たちは目にしている。先月(7月)の5日に、三浦綾子記念文学館本館ホールで「詩人、尹東柱(ユン・ドンジュ)とわたしたち」という催しが行われた。これは今年(2025年)から始まった「夜の文学館」というプログラムの第2回目で第一部は詩の朗読、第二部はコンサートで構成されていた。御存知ではない方も多いかと思うので尹東柱について説明しておきたい。尹東柱とは第二次世界大戦の末期に、日本で27歳という若さで獄死した韓国では知らぬ者がいないほどの「国民的詩人」である。岩波文庫で『空と風と星と詩』という詩集が出版されている。尹東柱の詩は植民地統治下の日本でどのような状況下で書かれたのであろうか。治安維持法は「朝鮮独立の企て」は「国体変革」の罪に該当するとして日本人に対するより何倍も過酷に朝鮮人に対して適用された。尹東柱の作品については岩波文庫の「解説に代えて」で金時鐘(キム・シジョン)が適切に説明をしているので掲載しておこう。

「たしかに尹東柱の詩作品は、時節や時代の状況からは外れているノンポリの作品です。ですがその時その場で、息づいていた人たちと、それを書いている人との言いようのない悲しみや愛おしさ、優しさが体湿を伴って沁みてくる作品ばかりです。それはそのまま詩人が生きていた時代の日の射さない暗がりの素顔を浮び上がらせている意志的な反証ともなっているものです。あの極限の軍国主義時代、こぞって戦争賛美や皇威発揚になだれを打っていた時代、同調する気配の微塵もない詩を、それも差し止められている言葉でこつこつと書いていたということは、逆に優れて政治的なことであり、植民地統治を強いている側に通じる言葉を自ら断つ、反皇国臣民的行為の決意を伴っていたものです。ですので尹東柱の詩は、時節とは無縁の心情の優しい詩であったがために、治安維持法に抵触するだけの必然を却ってかかえていた詩でもあったのでした。」

ここでイスラエル・ガザの戦争に戻るならば、援助される食料に群がる人々を打ち殺して恥じないイスラエルの兵士は、恥というものを知らないのであろうか。恐らくはそんなものは最初から持ち合わせてはいないのだ。あるいは「人間」というものへの共通理解が破壊されたままなのだ。しかし、徐京植(ソ・キョンシク)氏のいうとおり「国際連帯」の可能性を放棄しないためには、なんとかしてこの「原則的な感情」をよみがえらせなければならない。もともと存在しなかったのなら、今からでも生み出さなければならないのである。それは「文学」が担うべき仕事であろう。7月5日の夜、文学館ホールであった姜錫子(カン・ソクチャ)さんと柳氷香(リュ・スヒャン)さんのコンサートは、いつまでも拍手の鳴りやまない素晴らしいものだった。音楽が生み出す国際連帯の可能性を信じることが出来ると思った。この場を借りてお礼を申し上げる。

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