【案内人ブログ】No.66 『三浦綾子生誕100年記念文学アルバム』を読んで 記:森敏雄

案内人ブログ

帯に曰く~ひかりと愛といのちの作家 「ひとはどのように生きたらいいのか」人間のあり方を問いかける、ひかりと愛といのちの作家三浦綾子の生誕100年を振り返る記念文学アルバム。~

三浦綾子。1922(大正11)年4月25日、北海道旭川市生まれ。小学校教師を7年間勤め、終戦後罪悪感・絶望を抱いて退職。そして13年間の療養生活を送る。キリスト教受洗。三浦光世との結婚。1964(昭和39)年『氷点』入選。作家生活35年間で残した作品数は「86」。1998(平成10)年三浦綾子記念文学館開館。1999(平成11)年10月12日、逝去。

この記念文学アルバムは、序章に始まり第1章~第5章で構成されている。私が興味を持ったのは「第2章 作家・三浦綾子」である。作品解説。とりわけ、私は『青い棘』という作品に注目した。小説の舞台は旭川市緑が丘。かつて愛国飛行場があった。アルバムの19ページにはグライダー操縦席に着く綾子の写真が載っている。この小説は若い嫁と義父(大学教授)との精神的交流を軸に戦争問題を真正面から取り上げている。
「原爆忌」の章で、昭和50年8月6日原爆記念日に開催された「あなたは戦争をどう考えるか」という講演会の場面が登場する。講師陣は①五十田久一 ②住吉敏子 ③邦越康郎の3名。①戦争は人権・人格無視。国家権力の一つの姿。戦争は起きるのではなく、起こすものだ。②原爆が落ちて、梁の下敷きになった母を助けることができなかった。結婚はしたが、子供が欲しい夫は女をつくってわたくしを離縁した。③自分は学業を捨てた。学徒出陣した若者たちの死は実に痛ましい。等々が語られ質疑応答が交わされる。

文庫本『青い棘』のPR文~危機を孕む人間同士、夫婦、嫁舅それぞれの心の奥に潜む棘を鋭く衝いた問題作。愛とは何か?結婚とは何か?戦争とは何か?~この小説を読んだことのない方は、是非この機会に読んでみて欲しいと思う。
綾子の歴史認識だが、女性ならではの高潔な視点が明白だ。それにしても、戦争にまつわる諸情報を綾子はどうやって入手できたのだろうか?そのアンテナは高く広大で、かつ正確だ。綾子は取材の鬼として知られている。自ら探し求めたのは事実だろう。プラス多くの協力者があったに違いない。『天北原野』で描かれる樺太の様子は、光世の兄・健悦氏の助力が活きた。『銃口』は綴方教育連盟事件を暴露した、(教え子)郷土史家目加田祐一氏の存在が知られている。光世が綾子に『母』と『泥流地帯』の執筆を熱望したように、名のある作家には、あれを書いて欲しい、これを書いて欲しい、という注文があまた持ち込まれるのだろう。

この記念文学アルバムを読んで、私が心に留めようと思った事柄は次の事項である。
① 『氷点』の冒頭で、徹は啓造に(戦争映画の)勇ましい米兵の姿を語っている。時代は明らかに変わったのだ。小説『氷点』はその事実を紙面で再現した。
② 綾子が親友木内綾氏と始めた婦人の文化サークル「オリーブの会」は、五十嵐広三氏の知事選挙がきっかけであった。会員300名?
③ 元朝日新聞東京本社の編集者門馬義久氏の三浦綾子像・三浦文学評は次のとおりだ。
・人間とは何か、人間はいかに生きるべきかというテーマに正面から取り組んだ。
・聖書の思想が生きており、聖書のことばが要所にはめ込まれ光を放っている。
④ 『氷点』の舞台となった外国樹種見本林。終戦直後、同見本林は中学校用地への転用及び堤防建設という二度の伐採の危機があった。結局、中学校は別の場所に開校し、堤防は林を残す状態で建設された。その数年後小説『氷点』が世に出て、同見本林は「名作の森」に一変した。
⑤ 『細川ガラシャ夫人』の主人公、明智光秀の娘で細川忠興の妻・玉子のいみなは「玉」。ちなみに諱とは死後に贈る称号のことである。
⑥ 綴方教育連盟事件は世間に公表されなかったが、綾子の『銃口』のみならず、壺井栄著『二十四の瞳』でも触れられている。
なお、小説『銃口』は1996(平成8)年第1回井原西鶴賞を受賞した。
⑦ 浦上キリシタンに材を取った大河小説はついに実現しなかった。この〈浦上四番崩れ〉の執筆を綾子に熱望したのは、主婦の友社の編集者渡辺節氏であった。〈浦上四番崩れ〉は遠藤周作著『女の一生 第一部・キクの場合』でも描かれている。ちなみに綾子の最後の小説は『銃口』である。『銃口』は三浦綾子文学の集大成と言われている。

本アルバムの主著上出惠子氏は終章「終わりに」で次のように結んでいる。


〈ひかり〉と〈愛〉と〈いのち〉こそ、三浦綾子文学の真髄である。三浦綾子の人生及び三浦綾子文学は、時を経ても「人の心を動かしてやまない」「その人の生きる力となって甦る」からだ。三浦綾子生誕100年の今、これまで以上にその存在は揺るぎないものとなった。

至言である。三浦綾子文学は今後も末長くファンに読み継がれていくだろう。

by三浦文学案内人 森敏雄

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