菱谷良一氏ご講演「『生活図画事件』を語る」

菱谷良一氏ご講演「『生活図画事件』を語る」

6月27日、文学館にて、菱谷良一さんのお話をうかがいました。

1941(昭和16)年9月20日、北海道旭川師範学校(現・北海道教育大学旭川校)の美術部員だった菱谷さんのもとに、特高警察が訪れました。卒業制作に描いた作品が、治安維持法に違反すると見なされたのです。部員ら26人が一斉検挙、拘禁されました。

まだ20歳にもならない有望な学生が、冤罪で、1年3カ月もの刑務所生活を送ることに。菱谷さんは長男でもあり、母親の心労は計り知れないものでもあったでしょう。

仮釈放ののちの、紀元節(2月11日)の日。奮い立った菱谷さんは、自画像を描きました。妹さんの赤い帽子をかぶった自画像。それは、精一杯の抵抗を示したものでした。

現在開催中の「終戦75年」企画展には「生活図画事件」コーナーもあり、講演収録後、さっそくご観覧いただきました。菱谷さんの『生活図画事件 獄中記』の展示はもちろん、当時の旭川師範学校美術部の顧問「熊田先生」=熊田満佐吾氏の書簡(『銃口』読後感)や、熊田氏の絵画集、さらに、ご著書『青年の顔 美術教師の80年』の展示もあり、菱谷さんは熱心にご覧になっていました。

また、同じ美術部員で、すぐれた読書家であったという鏡栄さんには、三浦夫妻が『銃口』を書く際に取材をしていました。その「創作ノート」に菱谷さんのお名前もメモされており、菱谷さんは立ち止まります――。

そして、菱谷さんの、ため息。

『銃口』で描かれた「生活綴方教育連盟事件」のほうは、弁護士も尽力していたのに対し、「生活図画事件」はそれもなく、若い学生の心身を1年数カ月も拘束したのです。この理不尽。

菱谷さんは、それを若い人々にも伝えるべく、講演や取材に熱心に取り組んでおられます。支援する方々は全国におられ、実は当日も、You Tubeへの感想を多くいただきました。

その後、兵役のエピソードや、20年続けた海外旅行でのスケッチ、画集のモチーフなど、お話は尽きず、お見送りも名残惜しさでいっぱいでした……。

来年はかぞえで100歳になられる菱谷さん。個展と、画集の出版も予定されているそうです。今回の菱谷さんのお話、周囲の方々にもおすすめくださると幸いです。

田中 綾

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