【案内人ブログ】No.38

案内人ブログ

文学館案内の再開を願って

こんにちは。三浦文学案内人の三浦です。
文学館は6月6日から再開しましたが、全国的なコロナウイウルスの蔓延状況が終息する兆しがなく、私たち案内人の案内業務は再開できないでいます。とても残念ではありますが、やむを得ない措置なのかな、と思います。このボランティアがない分、時間に余裕がありますので、連日、自転車をこいで忠和の自宅から旭川駅裏にある北彩都ガーデンまで往復しています。

ところで、小説『氷点』で、ルリ子ちゃん殺しの犯人佐石土雄は、「終戦直前に中国で戦傷を受け北海道に渡り、日雇人夫として旭川市外神楽町に定住した」ことが、新聞記事を引用する形で書かれています。当時、忠別川の右岸の忠別橋付近にはサムライ部落がありました。ここから抜け出て来て犯行に及んだ、ということを示唆的に書いているのでしょうか。ちなみにサムライ部落のことは、主人公陽子が小学校3年生の冬、母夏枝から給食費をもらえなくて、学校が終わるとそのまま歩いて辰子の家へと向かう時、橋の上から集落を眺め、女の子の笑顔に元気をもらう、という場面にも描かれています。
そのサムライ部落は、今の忠別橋に架け替えられた昭和60年前後に撤去され、現在は彫刻公園として整備されています。

彫刻公園の全景。昭和50年代後半までサムライ部落はこの場所に実在していた。遠くに見える橋はクリスタル橋。

宮下4丁目付近の忠別川右岸河川敷にあるオオバボタイジュ。この方向と距離では記念柱の存在は全く伺い知ることはできない。
遠くに見えるのは函館本線高架。

公園の東端に高さ20mにもなろうとする、立派なオオバボダイジュがあります。その木の下、高さ1m60cmくらいの木でできた墓標に似た記念柱が建っているのを、最近発見しました。初代の旭川駅が建てられたときのいきさつが書かれていますので、興味のある方はぜひ足を伸ばしてみてください。

古めかしい文字で書かれた題字。この裏に由緒が書かれているので、興味のある方は実際に行ってご確認を。
坂東幸太郎は衆議院議員で戦前の旭川市長。息子の坂東徹も市長を務めた。

現在、三浦綾子記念文学館では、一年間のロングランで終戦75年企画展「アノ日、空ノ下デ君ハ何ヲ想フ」を開催中です。企画展の開催中にコロナの状況が終息して、ご来館された皆さまをご案内できるようになるとよいのですが……。

この頃、私は三浦綾子記念文学館が北海道遺産として2年前に登録されたことの意味を考えています。見本林を初めてご覧になった方が、スッキリと立つストローブ松の大木に驚いている様子が目に浮かびます。三浦綾子さんは不思議なインスピレーションに導かれてこの見本林を小説の舞台として選んだ、と実感するのではないかと思います。そしてこの文学館は、間違いなく全国屈指のロケーションを持つ文学館なのです。

三浦文学案内人 三浦隆一

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